【METRIKA talk:河内 聡一】 データドリブンな意思決定がなぜ必要か?世界で戦うために求められること。 METRIKA 顧問 河内聡一が見据える、日本の未来。

データサイエンス・AIを武器にデータと戦略を紡ぐMETRIKAが、様々な領域で活躍する人々と対談する「 METRIKA  talk」今回はMETRIKAの顧問に就任した河内聡一さんを交えて、これから日本企業がどうデータを扱っていくべきか、また今後の展望についてお伺いしました。

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市場調査から製品は生まれない。ユーザーの半歩先を読む感覚

澤村:まずは河内さんのこれまでやってきたことからお伺いさせてください。ソニー株式会社(以下:ソニー)にいらっしゃった頃は、海外でのお仕事が多かったですか?

河内:30歳からフランスのソニー現地法人で働いていました。出張で初めて訪れた時に、街や人々に興味を持ったんです。当時GDP世界4位の経済大国なのに、資本主義的な経済的利益だけでなく自国の歴史・文化を大切にしていて、人々が人生を楽しんでいるという雰囲気がすごく良いなと。そこで社内で手をあげて、その当時フランス語は話せなかったのにフランスに行くことになりました。やりたい人にやらせてみようという文化が根付いている会社でしたね。

澤村:当時、ソニーの主力商品は?

河内:テレビ、オーディオ、ビデオなど、主に家電ですね。でも私が赴任した1990年代は、ヨーロッパ全体の景気がとても悪く、渡仏したら製品在庫が山のように積み上がっていて、どうしようと思っていました(笑)。

澤村:激動の時代ですよね。河内さんはどのような役割を担っていたのですか?

河内:商品の発注からディーラーとの商談まで。一番下っ端なのに担当カテゴリー全ての責任を背負っている状態でした。350人いる会社のなかで、日本人が6人しかいなかったんです。

澤村:日系企業でその比率は珍しいですよね。

河内:でもそれが成功の秘訣だったのかもしれません。現地の優秀な人材を登用して、どんどんローカライズしていくことを当時からやっていました。

澤村:その後のキャリアは?

河内:6年間悪戦苦闘してフランスの業績がようやく上向いてきた後、アメリカでマーケティング責任者として働いていました。その後帰国したあとは、エリクソンとの携帯電話事業の合弁会社にて商品企画部長を務めることになったんです。当時の大きな仕事は、カメラ搭載携帯の文化をつくり製品を進化させることでした。

小林:その頃はまだ、カメラの付いた携帯があまりなかったんですよね?

河内:画素数がデジカメレベルのメガピクセルのものはなかったですね。でも当時の携帯のカメラの画質じゃ満足できなくなる人たちが、値段も質も高いものを求めていくだろうと考えていました。なので出来上がった製品は、”カメラに携帯がついている”という売り出し方をしていました。カメラ業界からはものすごく非難されたんですけどね(笑)。

澤村:確実に今に繋がっていますよね。ソニーでは、どうやって次の市場を読んでいったんでしょうか?

河内:マーケティングリサーチから新しい製品が生まれることはないと思っていました。商品企画として次に何が求められるのかを読む感覚と市場を創造する仕掛けが大事ですね。ウォークマンにしても、発売当時は外で移動しながら音楽を聞く人なんかいませんでしたから。

澤村:ユーザーの一歩先を行っていますよね。

河内:もしかすると、”半歩先”が正しいかもしれません。一歩先だとユーザーがついてこれなくなるので。「ちょっとそれ欲しいかも」くらいの感覚が目の付け所です。それでいうとメガピクセル搭載の携帯も、”写メ”で満足できない人たちに向けたものでした。

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会社には背伸びしたくなるような環境があるべき

澤村:河内さんはその後、FeliCa Networksの初代社長に就任されていますよね??

河内:はい、NTTドコモさんとの合弁会社ですね。ソニーの天才エンジニアが開発したFeliCa技術を、iモード携帯に組み込んでエコシステムを構築してみようという話から始まった会社でした。

澤村:「おサイフケータイ」の始まりですよね。今でこそケータイで決済ができるのは当たり前のことになりましたが、当時は革命的でした。

小林:今や我々の生活に欠かせないSuicaも、ここが始まりですもんね。しかし個人的に、FeliCaはもっとグローバルへ進出してほしいと思っています。

河内:まさしく、グローバル展開を目指してましたが、国際標準化の障壁などもあり、実現には至りませんでした。他にもチケットを一括で管理できるようにしたり、キャッシュカードを搭載したりと、色々やりたいことはあったんです。

小林:まだまだ可能性がたくさんありますね。

河内:FeliCa技術が素晴らしいのは、導入後20年以上経ってこれまでセキュリティ事故がないことです。

澤村:その後Googleへ転職されたきっかけもお伺いしたいです。

河内:知人から「これからのGoogleは河内さんみたいな人が必要なんです。」と言われ社員の方を紹介され、お会いしたところ、昔のソニーみたいな雰囲気だなと思いました。全員が背伸びしながら仕事をしている感じ。そうすると会社も個人も成長できるんですよね。会社のVisionに共感し導かれるように実力以上の役割を果たし、生き生きと働いている姿がとても魅力的に見えて、転職を決めました。

小林:背伸びをする環境は、METRIKAでも大事にしていきたいと思っています。

河内:そうですよね。人間って基本的に怠け者じゃないですか。だからこそ背伸びしたくなるような環境が必要だと思っています。私がフランスに行ったことも、そう思わせてくれるソニーの環境があったからこそ。アメリカ赴任やFeliCa Networksの社長就任は自分の決断ではありませんが、振り返って見ると当時の上司がそういう環境を与えてくれたことに感謝しています。しょうがないな、と思いつつもやってみるとまた自分が成長していることに気がつくんですよね。

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データを基盤に、日本から世界へ

澤村:河内さんがこれからやっていきたいことは何ですか?

河内:ソニーの海外拠点で働いているとき、日の丸を背負っている気持ちがありました。日本企業が現地のユーザーを魅了する製品を出しビジネスを拡大し続けることが、結果として日本の国力に貢献していると感じていたんです。これからはその日の丸を背負っていく人たちをお手伝いしたいですね。僕があのとき感じた高揚感を味わってもらいたいなとも思います。

澤村:その思考に辿り着いたきっかけがあったのでしょうか?

河内:フランス赴任の大先輩であり、ソニーの社長、会長兼CEOだった出井さんの存在が大きいです。退任後もご自身で起業し、亡くなるまで数多くの様々なベンチャー企業への投資や支援をされていました。大企業のCEOまで務めて、悠々自適のリタイア生活でお好きなゴルフを楽しまれてもいいのにですよ(笑)。その姿を見ていて、自分もできる範囲で何か貢献したいなと考えたんです。そんな時METRIKAからお話しをいただいて、ご縁かなとも思いました。

澤村:素敵です。では最後に、これからMETRIKAと一緒にやっていきたいことを教えてください。

河内:日本企業のDXサポートは、期待している事の一つです。海外に進出しても成功できていないひとつの要因は、経営に関するグローバルな視点が欠けているからだと思うんですよね。特にデータを基盤とした会話ができていないと感じています。

小林:先程「マーケティングリサーチを商品開発に活用しない」と仰っていたことと、少し矛盾しているのが興味深い部分ですよね。

河内:そうですね。データは過去のことなので、そこから何をやるか決めるのが人間の仕事ですよね。過去をデータで客観視し分析し、その結果に基づいて戦略や施策を決めるという、データドリブンな経営が充分にできていない企業が多いと感じます。

小林:お話しを聞いていて、「大学で本を読む」とはどういうことかを思い出しました。「ただ内容を理解するのは”見ている”だけで、読むのは本を閉じてから」と教わったことがあります。思い出して再現し、ロジックの流れを理解することが”本を読む”ことだと。データも、見るだけではなく使いこなすことが必要ですね。

河内:それに、その結果失敗しても良いと思っています。データから作り出した仮説がそのまま当たることの方が珍しいので。仮説が無いまま進んでいる状態が、危ないと思っています。

小林:なおかつ、データを元にしない議論は、立場での議論になりがちですよね。立場が低い人の意見が尊重されなくなってしまうと思います。

河内:まさしく。METRIKAは、大手のAI・データコンサル会社ができないことをやるべきだと考えています。企業に寄り添いながら綿密なデータ分析から緻密な戦略構築・施策実行まで伴走できることは、今の日本社会に必要なサポートだと思いますね。そういう基盤を持って海外に出ていくことを我々が後押しできるのであれば、ぜひお手伝いしたいなと思っています。またCEOの小林さんとCOOの澤村さんの関係が、ソニーの創業者である技術の井深さん、営業の盛田さんの両輪経営の関係に似ていて、とても可能性を感じています。

河内 聡一

株式会社METRIKA 顧問

河内 聡一
ソニーにて商品企画業務を担当後、フランス・アメリカのソニー現地法人でのマーケティング・ビジネスマネジメント業務に10年間従事。帰国後FeliCa Networksの初代社長として"おサイフケータイ”事業を立ち上げた後、ソニーのブランド・広告宣伝担当VPとして全世界のブランド戦略を統括。2014年にグーグル合同会社へ転職し、執行役員営業本部長として日本企業のDXとビジネスモデル改革を推進。METRIKAには2022年4月より顧問として参画。また2022年7月にBeatrust株式会社のVP of Businessに就任。